イミテーション・サファイアを太陽に透かしていた男は、
その小さな青い視界の中に、見知った顔を見つけて小さく悪態を吐く。
週に一度立つマーケットの熱気の中、彼はいつもの聖職者の衣ではなく、
黒のロングコートと、これもまた黒のボトムを身につけていた。
少し考える風に、首を傾げ、向き合った店主となにごとか
言葉を交わしていた青年が、唐突に振り返る。
一連の流れを、ただぼーっと眺めていたことを男が悔いる間もなく、
青年は男の名を呼んだ。

「ギリコさん」

にっこり、という効果音まで背負った笑顔を向けられ、悪寒が走る。
ためらわず彼に背を向け、店先から離れようとしたギリコだが、
その袖口を宝石店の店主に掴まれ、つんのめった。

「なんだよ、はなせ」
「…兄ちゃん…行くなら手の中のソレ、置いていけ」

知己を見止めた驚きのあまり、先ほどまで見ていたサファイアを
握りこんでいたらしい。手の中のサファイアを店頭に落とす間に、
今度は他ならぬその、出会ったところでなんの役得もない知己が
ギリコの袖口を掴んだ。

「今日の私は運がいいようです」
「なんだよ。死神のイイ子ちゃんなんぞに用はねぇぞ」
「あなたにはなくとも、私には」

そう言いつつ、青年はコートのポケットから
無残に壊れた機械を取り出して見せた。

「…壊れてるな」
「ええ。あなたが壊したんですが」
「知らねぇよ…」
「今度お会いしたら、弁償してもらおうと思っていました」

その残骸を丁寧にポケットにしまい、青年は晴れやかな笑みを浮かべる。
ギリコのほうは、はやくも額に青筋を浮かべている。

「ふっザけんな!」

だん、と宝石店の荷台に拳を叩きつける。

「ぎゃっ?!」

見事に真ん中から割れた荷台と、散乱する商品とに、店主が悲鳴を上げた。
野次馬が遠巻きに店主と青年、そしてギリコを取り囲む。

「仮に俺が壊したとして、誰が弁償なんかするかよ!このクソ神父!
 てか、ひとのもんなんて壊して何ぼだろ!くそっくらえだ!」

地に唾を吐き、ギリコは青年に背を向ける。
逃すまいと、そのギリコの背に抱きつく青年。

「逃がしません!」
「神父…てめぇ気色わりぃんだよ!」
「だいたい、忘れたとは言わせません!あなた教会で私の
 i-Podを投げたじゃないですか。思い切り」
「…知らねぇっての!」
「しかもあなた、その後ホテル代もケチって、人をそこらのあばら家に連れこ」
「……!!」

ざわ。人垣が大きくざわめく。
青年の口は塞いだものの、周囲がギリコを見る目は冷たい。

「お ま え」

ぶるぶると肩を怒らせながら、ギリコは青年を睨みつける。
口を塞いでいる手を冷静に払いのけ、青年はそんなギリコに微笑みかけた。

「思い出して頂けましたか」




「てかよ、それ何なわけ」

青年は、マーケットを出て、足早に都心部へ向かっていく。
すっかり諦めた様子で、彼について歩きながら、ギリコは
青年が口にした耳慣れない単語について、問いを発した。
周りの風景は、見る間に近代的なものに変わり、
青年は慣れた様子で、立ち並ぶビルのひとつに入っていく。
最新の電化製品が並ぶ店内で、ギリコは自分の財布の中身を思いだす。
宝石店の屋台を弁償したため、彼の財布は既にかなり軽くなっていた。

「音楽聴くやつ?…にしてはなんか、円盤みたいだよな」
「これ。i-Podって言うんです」

素早く目当てのものを見つけ出していた青年は、ギリコの問いに
振り返った。見たことないですか?と言いたげに目を見開く。

「ポットでもなんでもいいけどよ…」
「このダイヤルでメニューをひらいて、好きな音楽を選んで、聞くんです」
「でもこれ、CDとかはいらねぇだろ」
「これはパソコンから曲をダウンロードするんですよ。ほかにも、
 手帳の機能とかもついてます」
「へぇ。俺の知識なんざ、蓄音機どまりだな」
「ふふ。レコードも好きですけどね。盤が磨り減っていくさまが
 せつなくて、愛おしい」

青年はギリコに説明しながら、手早く数個の機器を手に取って、
馴染み具合を見たり、 ダイヤルをまわしたりしている。
そんな様子を見ていたギリコだが、はっとあることに気づき、足を止めた。
『コレ…ふつーにデート…みてぇじゃねぇか』
なんで死神の族なんぞと…、ギリコが脱力するのをよそに、
青年は買うものを決めたらしい。

「ギリコさん。これにします」
「ああ…」

なげやりに青年が示す値札を見たギリコは、その動きを止めた。

「コレ…?」
「相場です」

さらりと言い切る青年に対し、再び殺意が沸く。
『もしかしてこいつ、俺より収入いいんじゃねぇの』
なぜか、場違いな年上の男の矜持なんてものも顔を出す。

「まあ、相場なら仕方ねぇな。貸せよ」

青年の手から機械を奪い、ギリコはそのままレジへと向かった。




会計はカードで済ませた。
こりゃ来月は赤貧だな…、という切ない胸のうちは隠して、
ギリコは包みを青年に渡した。
「これでいいだろ」
「はい。ありがとうございます」

手にした包みを嬉しそうに抱えなおし、青年は微笑む。
用事が済んだ今、あとはもう一緒にいる必要はないのだろう。
コートの袖口をすこしめくり、青年は時刻を確認している。

『午前11時38分』

文字盤を読み取り、ギリコは嘆息する。
今日はまだ始まったばかりで、ついでに言うなら、給料日までまだ5日ある。
『ハラ減ったし』
給料日まで食いつなぐ算段を廻らせるギリコの耳に、
青年の声が届いた。

「付き合っていただいた御礼に、昼食でも如何ですか」

その内容に驚き、青年を見下ろす。

「何考えてんだ?俺はおまえの大事な死神様の敵、だぞ」
「そうですね…」

ギリコの言葉で、青年はひとつ頷く。

「でも、わたしは、ギリコさんは好きですよ」

だって、私を痛くしてくれるでしょう?
言葉には出さず、唇だけで青年は告げ、笑う。

「…イカレ野郎が」

一瞬、呆気にとられたギリコだったが、すぐに口角を吊り上げる。

「そうだな、ハラが減ってきたところだ。
 喰わせて貰うさ、ジャスティン」