蒼の陽だまり 地を這う者を睥睨するかのように伸びる尖塔、その頂には神の御印。 彼がそこ、所謂教会へ足を踏み入れたのは、全くのきまぐれからなるものだった。 そしてそのきまぐれは、先だって出会った、年若い聖職者の面影に端を発する。 罵倒も届かぬあの陰険神父の代わりとしては役不足だが、神を罵ってやろう。 そんな邪な動機で立ち入ったそこで、彼は息を呑んだ。 昼間でも薄暗いその空間は、神の威厳を示す舞台装置ゆえなのだろう。 最小限につくられた、窓からは、十分な採光は望めない。 そして、そのわずかな明かりをとりこむ窓には、 神の物語や聖人らの姿が、巧みな細工で彫りこまれている。 窓は、遠い過去に生きた聖人らの姿を、現代、現時点のそのひととき、 教会の壁に蘇らせる。聖人らに相応しい、きらびやかな衣装を彼らに纏わせて。 壁、床、至る所に鮮やかに蘇る、過去の偉人たち。 ひときわ目を奪われる、青い光の中で、その彼らを背に横たわる人影。 「クソ神父」 思わず、声にしていた。 呟き程度のそれは、2人の訪問者のみ有する堂内で、予想外に反響する。 その失態に舌打ちをし、彼はすぐさま臨戦態勢をとる。 それから、唐突に力をぬいた。 『…そういや、あのガキ、イヤホンつけてんだよな。 今の声だって聞こえちゃいないか』 そう、考え直して、彼は再び歩を進める。 相手が自分に気づいていないのなら、可能な限り距離を詰め、 標的が射程距離にはいったところで片付ければいい。 気づかれるリスクも上がるが、接近戦タイプの彼にとって、 それは標的を確実に仕留める一番の方法だと思われた。 しかも、標的は自ら、敵を察知する能力−聴覚−を封じているに等しいのだ。 絶対の自信をもって、彼はじりじりと間合いをつめていく。 飾り窓を経由することで、光は青く染まっている。 その真下で眠る−少なくとも目は閉じられている−その様子は、 全くの無防備に見えた。 まだ記憶に新しい邂逅は、戦場にて。 そこでは鋭い眼光で彼を威圧し、白銀の刃を振るう彼であるが、 今、目を閉じ、蒼い陽だまりに横たわる様は、ひどく幼い。 『…ガキだなぁ…』 柄にもなく、しげしげとその寝顔を覗き込んでしまい、 彼はぷるぷると頭を振った。 陰気な教会で、思いがけず見つけた陽だまりだからと、 そんなものに毒気を抜かれてはたまらない。 千載一遇の好機をつかむべく、彼は片腕をふりかぶり、 その体に内包するチェーンソーを具現化しようとした。 「視覚、聴覚を封じているとはいえ、 あなたの殺気に気づかぬほど鈍くはありませんよ」 目を閉じたまま横たわる青年の唇が、動く。 内心驚いたものの、彼はそれに答える。 「わかってながらここまで近づかせたってのか? 余裕じゃねぇか…クソ神父」 平静かつ、嘲弄をまじらせた声を目指したものの、 現実のそれには、明らかな苛立ちが滲んでいた。 再度舌打ちをして、彼は片腕にチェーンソーを具現化する。 「ここは戦場ではありませんから…少し話してもいいかなと思ったんです」 青年の瞳は、相変わらず瞼の下に隠れたままだったが、 彼にはそれが楽しげに揺れるのが感じられた気がした。 そこで、またひとつ気づく。 横たわる青年の耳からこぼれた黒いイヤホン、 そしていつもはスピーカーから漏れ出す大音量の音楽が、 今は全く聞こえないことに。 「ハイそうですか…って俺がおまえと楽しく会話するかなんて、わかんねぇだろ」 「それはそれで構いませんよ」 「…バラしにかかるかもしれねぇ」 「痛いのは嫌いじゃありません」 「……マゾかよ、てめぇ」 「下世話な言い方しかできない方ですね」 全く緊張感のないやりとりに、闘争心を削がれ、どさりと 傍らに座り込む。すると、その振動にか音にか、 青年は漸く瞼を上げて、青い瞳を彼に向けた。 きょとん、といったふうに自分を見つめる敵の姿に、完全に脱力させられる。 はあ、とため息をついた彼を暫し見つめ、青年はゆったり身を起こした。 形のよい耳に、イヤホンを押し込む。 「おい?」 「帰ります」 黒い僧服のポケットから、小型の機械を取り出す。 画面が発光し、いくつかの曲目を提示するのが見えた。 青年の指はくるくると本体についているダイヤル状のボタンを操り、 目指す曲目を探し出す。決定ボタンを押そうとする青年を、彼は制していた。 「…邪魔です」 彼の手は、青年の掌ごと音源装置を握り締めている。 「いいぜ。暇だったとこだ。…お望みどおりにしてやるよ。 話でも、…痛くでも、」 青年の手の中で、ぶんぶんと不満そうに低い駆動音を漏らしている機械を 取り上げ、放り投げる。イヤホンと本体が離れ、 前者はぐったりと青年の胸に垂れ下がり、 後者は耳障りな音と部品を撒き散らしながら、 ふたりの背後の薄闇に消えた。 「クソ神父、じゃあ色気ねぇよなぁ…。おまえ、名前は?」 俺様はギリコ。人を喰った笑みを浮かべつつ、言葉を重ねる彼と、 イヤホンとを交互に見遣ってから、青年は 胸に垂れたままのコードを取り、掌に握りこむ。 「私は、ジャスティン」 |