Shall We Dance?




華やかに着飾った紳士淑女が軽やかに踊る中、壁際につったったまま
ひとり、じっと動かない少年がいる。
先だって、最年少で近衛隊長に任命された彼。
名をジークフリートという、この夜会の主役である筈の人物だ。
この日は、通年通りの入隊式の後、さる高貴の方の『特別のお計らい』だとかで
―その実自分の息子をアピールせんがための工作なのだろうが―、
異例の近衛隊長就任の祝いと新兵の歓迎式典が開かれていた。
近衛の半分を構成する貴族連中は、やれ羽根の伸ばしどころだとばかりに
装いを凝らして、剣技に見合わぬ卓越さでもって女性をエスコートしている。
巧みにステップを踏み、舌を回す部下らを見て、ジークフリートは
あれほどの熱心さでもって稽古にも臨んでくれればな、と心中でぼやきながら、
気付かれぬよう欠伸を噛み殺した。


衣擦れのさやさやという音、甲高い笑い声。
そのどれもがジークフリートの肌には合わず、また他方も
庶民出の彼を取り巻き、ひそひそと囁きを交わすだけで、近寄ってきはしない。
もっとも、ジークフリートのほうで香水臭い貴族の娘などお断りだったし、
だいたいダンスのステップなどろくに知らないので大助かりだったわけだが。
そんな彼のもとに、一曲終えた青年らが口元にいやらしい笑みを浮かべて
近寄ってきた。普段から何かと突っかかってくる貴族のグループだ。
「これは近衛隊長殿。こんなところで何を?ダンスはなさらないのですか?」
「はは、隊長殿にそのようなことを勧めるのは無粋というものだろう。
 何しろ、生まれがな……」
「ああ、そうだったな。しかし折角の夜なのだ、誰かお相手を…」
一方的に捲し立てる彼らを嫌そうに見、ジークフリートは無視を
決め込むことにした。相手にならなければ直ぐに行ってしまうだろう。
しかし、今日はそれが裏目に出た。
ジークフリートの態度が気に入らなかったか、青年らは鼻に皺を寄せて、
「誰か相手をしてくださる令嬢はいないのか?」
ことさら大きな声でひとりが自分に皆の注意を引くと、もうひとりも
大仰に辺りを見回し、適当に目が合った同じ貴族の娘を指し、
隊長の相手をしてやったらどうだと絡み始めたのだ。
当の娘は、一瞬目を丸くしたが、苦笑と共に首を振った。
彼女の反応は未だ良い方で、この後彼が声をかけた女の中には、
あからさまな 侮蔑の言葉を投げた者もいた。
『……まったく。』
さしものジークフリートも、低レベルなつるし上げに腹立ちを抑えきれなくなっていた。
「成り上がり者とは、誰もダンスをしたくないそうだ。」
何が嬉しいのか、喜色満面勝ち誇る男を思いっきり殴り飛ばしてやれたら。
だが、賢明な彼はそれを実行することなく想像の域で留めた。
忍耐を見せる彼に、しかし青年達は執拗に嫌味の類を吐きかけ続ける。
酒が入っていること、周りが貴族だらけだということが彼らを調子に乗せている要因だろう。
さらにジークフリートにとっては不幸なことに、ヒルダとフレアの姉妹は他に
用事があるということで場を外しており、またハーゲンもその護衛にと
欠席していた。……とはいえ、仮に彼女らがいたとしてもジークフリートが
頼ったとは思えないが。
『こいつらが飽きるまでもう少しの辛抱だ……』
そう自分に言い聞かせ、こっそりと溜息をついたところで、部屋の中央から
声が上がった。


「他に誰もいないなら、是非お相手願いたいな。」
凛と響くその声音には、ジークフリート自身確かに覚えがあった。
……それも、近衛内で。
付け加えるなら、声の持ち主とおぼしき彼とは入隊以来まともに口をきいた記憶すらなく、
どちらかというと 彼の絶大な地位に、さぞ高慢な者だろうとの偏見を持っていて、敬遠してきたのだ。
ざわざわと狼狽える貴族らをかき分け、その彼はジークフリートの前に進み出て、
ふわりと微笑んだ。
その顔は、予想通りの彼のもので、ジークフリートは改めて目を丸くする。
先ほどの冷静さが嘘のように目を剥き、棒立ちに突っ立ったままのジークフリートを
どう思ったか、彼―シド、は一瞬口元を押さえて、それからひとつ咳払いをした。
固まったままの男の腕を取り、するりと身体を密着させる。
「おい……っ;」
「リードはしてあげますから、少し黙って。集中して下さいね。」
はっと我に返ったジークフリートが小声で囁くも、時既に遅し。
楽師らが躊躇いがちに次の曲を奏で始めていた。
初心者には最適の、ゆったりとしたワルツだ。
呆然と周りが見守る中、シドのリードで二人は空いたスペースへと
ステップを踏みながら移動していく。
ぎこちないジークフリートのステップも、その背と容姿、さらには
女性のパートを担当しながら、巧みに彼をリードするシドの働きで
まあまあ見られなくもない出来映えに仕上がっていた。
「次は、右、右、……」
小声の指示に、最初は必死に食らいついていたジークフリートだったが、数分も
たつうちに繰り返しのリズムに慣れ、余裕が出てくる。
強ばった顔も幾分穏やかになり、シドに話しかけることも出来るようになっていた。
「どうしてこんな…、立場が悪くなるのではないのか?」
「構いません。私はこういった陰湿な事が嫌いなんです。」
きっぱりと強い口調で言い捨て、シドは頭半分高いジークフリートを見上げて
悪戯っぽく笑う。
「それに、貴方と踊ってみたかったのも本当ですから。」
「……え?!」
素っ頓狂な声を上げ、その拍子に足を縺れさせかけるジークフリートにまた
小声で注意を促し、優雅にターンを決めると、シドはそのまま動きを止めて
ありもしないドレスの裾を摘む仕草で礼をした。
其処で初めてジークフリートも、ワルツが終わっていることに気付き、
慌てて深々と礼を返す。
顔を上げると、先ほどまで自分に絡んでいた青年らは、青ざめた顔で
シドと、ジークフリートを見つめていた。
「……あ…」
「それでは、隊長殿。お相手頂き光栄でした。」
一旦体勢を直してから、もう一度礼をして、シドは先ほどと同じ悪戯っぽい輝きを
宿した目で微笑んだ。そのまま何か言訳を口にしようとする青年らに対し、
一瞥も与えずにくるりと踵を返す。
「シド様……っ!」
泡をくってその背を追う青年らと、その前を行く彼を見送りながら
ジークフリートは今まで彼に抱いていたイメージが悉く崩されてしまった
ことに、暫し立ち尽くし。次いで盛大に吹き出した。
若き近衛隊長と、後の副官との交友は、此処から始まる。