蜂蜜の流れる場所



激しい風がガタガタと窓枠を叩き、窓の外は一面白く覆われて、
その日はアスガルドの冬の厳しさを如実に表していた。
しかし、容赦なく降り積もる雪の被害に頭を悩ませるのは
大人達だけの事。宮殿内を駆け回る2人―正確には
歓声を上げて駆け回る蜂蜜色の髪の少女と、
其れを必死に追いかけるこちらは
この地域には珍しい浅黒い肌をした少年。

「フレアさま、そんなにお急ぎになられると危ないです!」
「へいきよ!それに、お姉さまがいいものを用意してるから、って!
だから急がなきゃ!ハーゲンもはやく!!」
「フレアさま…!」

裾の長いドレスを危なっかしく捌きながら走るフレアに、
とうの昔に追いついていたハーゲンは、もし前を行く姫君が
ひっくり返る等と言う事態が起こらないかと気がきではない。
そんな2人を、時折行き交う近衛や文官らが
優しい笑みで見守っている。
広い回廊は束の間気の早い春の使者が
訪れたかのような暖かさを醸し出していた。

はあはあと弾む息を静めながら、フレアは
大きな木造の扉をノックした。
勿論、一歩控えた場所には、同じく
胸を押さえているハーゲンの姿がある。
もっとも彼の場合、此処まで走って来たという事よりも、
これからヒルダに面会するという緊張の方で
少々の息苦しさを感じているのだろうが。
ノックの音が低く返り、ややあってその大きな扉が内側に開かれる。
扉を開いたのはハーゲンと同じく近衛隊に所属している
ジークフリートだった。
年齢が近いことから、ハーゲンがそうであるように
彼もまたヒルダの側仕えをしている。
勿論、いざという時ヒルダ達を守れるように、
腕の方も年齢に似合わず相当なものだ。
そのジークフリートは2人を確認すると微笑み、
躰を半歩引いて部屋の中を示した。

「ヒルダ様、フレア様が御出です。」
「おねえさま!」

ジークフリートが恭しく礼をするのに、とびきりの笑みを返しながら
フレアは姉であるヒルダの元へ駆け寄った。
その後を、少し気後れしているかのようなハーゲンが続く。

「フレア」

未だ少し息の荒い妹の頭を優しく撫でて、ヒルダは穏やかに微笑んだ。

「ハーゲン、ご苦労様でした。貴方ももっと此方にいらっしゃい。」
「はい、…失礼します!」

思わず先刻の笑顔にぽうっとしていたハーゲンは、慌てて姿勢を正すと、
暖炉の側―ヒルダとフレアのかけている長椅子に近寄り、膝をついた。
その後ろで声を殺して笑っていたジークフリートも其れに習い、友人の隣に膝をつく。

「ああ、2人ともそんなに畏まらないで…」
「おねえさま、いいものってなんですの?」

ヒルダの苦笑混じりの声は、しかしほぼ同時に響いた
フレアの其れによって遮られた。薄桃色の頬を心なしか膨らませて、
フレアは焦れたように姉を見上げている。

「ふふ、そうでしたね。」

宥めるように軽く妹の頭を撫でてから、ヒルダは立ち上がり、
部屋のほぼ中央部の執務机の引き出しを開けた。
取り出したのは、横に長い箱と、真っ白な画用紙が数枚。

「冬の間は退屈かと思って。かと言って勉強ばかりじゃ嫌でしょう?
この前、ジークフリートが街へ視察に行った帰りに
買ってきてくれたのよ」
「わあ…きれい。」
「なかなか入らない商品だそうで。手慰みにでも、と」

大きな瞳を輝かせてフレアは箱の中を食い入るように見つめた。
中には色とりどりの少し太い、棒のようなもの。

「クレヨン、というのだそうです。
羽根ペンの色つき版…とでも言えば良いでしょうか」

ジークフリートが言葉に苦労しつつ説明する。
フレアは其れを大きく頷きながら聞いていたが、我慢できなくなったのかヒルダを見上げた。

「この机を使うといいわ。椅子ももう一個、持ってきてあげましょう。」
「ありがとう、おねえさま。ジークフリート。ハーゲン、いっしょにお絵かきしましょう!」
「あ、はい!」
「ヒルダ様、そろそろ……」
「ええ。じゃあ、私たちは少し外しますから。お願いね、ハーゲン?」
「あ、ハイ!」
少し高めの椅子によじ登るフレア、その椅子を心配そうに
支えていたハーゲンが慌てて礼を返した。そんな彼と、
早くもクレヨンに夢中のフレアを交互に見遣ってから、
ヒルダとジークフリートは部屋を後にした。

一気に静かになった室内に、クレヨンが紙の上を滑る音だけが響く。
暫く夢中になって絵を描いていた2人だったが、一段落ついたのか、
フレアはほうっ、と吐息を零し隣で一生懸命クレヨンを使うハーゲンを見た。
彼の手には、すでに半分程になった黄色のクレヨン。
画用紙には、クレヨン半分量の大小様々の黄色い円。

「…ハーゲンは黄色がすきなのね」

突然の問いに、ハーゲンははっ、と自分の手を見た。

「すみません…俺一人でこんなに使って」
「ううん、ちがうの。そうじゃなくて、…ねえ、何を描いてるの?」

首を傾げ、フレアはずい、とハーゲンの方に身を寄せた。
それに内心混乱しつつも答える。

「…花を」
「お花……?」
「はい。あと、フレア様も」
「わたしも?」
「…いつか、この絵のように…
フレア様にたくさんの花を差し上げます」

言葉を進めるに連れハーゲンの頬は赤く染まり、
声もぼそぼそと呟くような調子になる。
しかしフレアは彼の言葉を正確に受け止めてふんわりと笑った。

「すてきね…、約束よハーゲン」

じゃあ、わたしの隣には貴方がいなくちゃ。
私がハーゲンを描くわね、と笑うフレアにハーゲンもはにかんだ笑みを返す。
2人はそれから時の経つのも忘れて一枚の画用紙に向かい続けた。

そして、夕刻。

「フレア、ハーゲン…?」

部屋に戻って来たヒルダとジークフリートは、
机の上の画用紙と小さくなった黄色のクレヨン、
そして椅子の足下で手を太陽の色に染めて眠る2人を見つけ、
柔らかく微笑み合うのだった。