改正☆教育基本法! 「はなはだ遺憾なことに」 ジークフリートがヒルダの警護で不在の訓練場に、赤毛の国土開発庁長官兼 その他諸々…がやってきたのは、丁度兵士らが組み手の稽古に入った頃だった。 不在の隊長に代わって指示を与えていたシドは、ずかずかと一直線に自分の元に やってくるアルベリッヒを見て、微かに眦を開く。 「用件ならあとで…」 訓練中と言うこともあって、やんわり追い返そうとするも、 一向に気にした様子もなく アルベリッヒは更に言葉を続けた。 「我が国の教育は、十分に行き届いていない」 まったく嘆かわしいとため息を吐き、アルベリッヒは腰に手を当てて それとなく此方を窺っている兵士達を眺めた。 「…此処にいる者たちでも、字が読める者がどの程度いるか…」 「アルベリッヒ」 配慮の欠けた発言に、シドは鋭い視線を投げた。 「アルベリッヒ…我が国の貧富の差は知っているだろう? 教育を受けたくとも、受けられないのが現実なのだ」 「だからしょうがないと仰せか?」 はっ、と鼻で笑い、アルベリッヒは頭ひとつ半ほど高い位置にあるシドの 顔を睨め付ける。 「そんな考えだからアスガルドは20世紀に入ってなお こんな生活を続けねばならんのだ!主な産業と言えば林業のみ! これでは豊かにならんのも当たり前だ。より高度な技術を得るためには まず文字、教育が必要なんだ!」 小柄な体を怒らせて捲し立てるアルベリッヒに、 シドはほうっとため息を吐いた。 「……で、私は何をすれば?」 彼とももう長い付き合いになる。 これから口にするだろう内容もある程度予想はつくのだ。 ―資金援助あたりだろうな…しかし実際こちらも領民への食糧配給で 余裕が 無いんだが―出来る限りのことはしてやりたい。 教育や、その他の問題はたしかに国家中枢では問題視されているのだ。 思案するシドに対し、アルベリッヒが言い放った台詞。 それはシドの予想外の ものだった。 「あなたには、言語、歴史部門の講師をお願いしたい」 さらりと言い捨てられた言葉に、シドは目を丸くした。 承知の返事をかえそうとして、 そのまま飲み込む。 「は…?私なぞにそれを頼まずとも、文官連中がいるではないか。 それに、百歩譲ってもおまえのほうがよほど…」 「私は理系部門を担当する。文官連中を使うと、 また余計なコストがかかるからな」 「…つまり、無償でやれということか…」 「そういうことです」 淡々と答えるアルベリッヒ。シドは渋面を浮かべている。 「母国語と、英語、日本語。三ヶ国語に堪能で、アスガルドの歴史的行事、 慣習にも博識。文系部門では、あなたに勝る講師はいないと 思いますよ(それに使いやすそうだし)」 「…………」 なおも迷うシドに業を煮やし、アルベリッヒは背後を振り返った。 そこには、はらはらと二人の神闘士を見守る近衛隊員たち。 アルベリッヒは、その猛者らを見回して声をはりあげた。 「十分に聞こえていたと思うが、今回の教養コースの対象者は主に15歳以下の者。 しかし、特例として年齢制限無しの講座も設ける予定だ。いずれの講師もシドが 担当する。…この時点で参加希望の者は?!」 一瞬、鍛錬上はシン、と静まり返った。次いで、わあっと歓声がわきおこる。 「副隊長が教えてくださるのでしたら、是非に!」 「俺もです!」 「俺だって!!」 野太い歓声の指揮をとるように、両腕を広げたアルベリッヒは、 男たちの声を存分に ひきだしてから、再びシドのほうに向き直った。 「どうするんです、シド?」 にっこり、という擬音をはりつけた微笑を浮かべるアルベリッヒ。 だが、その 微笑みも見えぬように、シドは目を輝かせていた。 「おまえたち…、そんなにおまえたちが向学心に燃えているのなら…!」 この話、喜んで受けましょう。 シドの宣言を受けて、再び鍛錬上が 歓声に包まれた。 「アルベリッヒ!」 ヴァルハラ宮特別講座担当講師が決定した、その日の午後。 アルベリッヒの執務室に、ひとりの男が怒鳴り込んできた。 「なんだ、バド」 あからさまにウンザリした様子で、部屋の主は訪問者を見る。 肩で息をしながら、鋭い視線を投げる男は、 額に貼りついた銀髪を払いながら ずかずかと部屋に踏み入った。 「…シドに何を吹き込んだ」 恐ろしく低い、明らかに脅しの要素を含んだバドの声を、 そよ風のように 受けて、アルベリッヒは肩をすくめた。 その仕草は、バドの神経を逆なでる。 「部屋に帰ってきてから、ずっと語学書と睨めっこだ! それに、また余計な 仕事が増えたという!」 「…で、シドに相手をしてもらえないのが寂しくて、 私に文句を言いに 来たわけか」 ふん、と鼻で笑うと、アルベリッヒはちらりとバドに流し目をよこした。 図星をつかれ、口をつぐんでいるバドを見て、その皮肉な笑みを深める。 「いいじゃないですか。シドは国のために貢献する、と言っているんで…、」 「よくない!」 一刀両断、アルベリッヒの言葉を切り捨てると、 バドはぎらりと彼を睨みつけた。 物騒な光を宿したそれに、アルベリッヒは肩をすくめる。ただし、 『馬鹿につける薬はない』と言わんばかりの表情で、である。 「おまえも習いに行けるじゃないか。要人警護職にあるおまえが、 いつまでも 字が読めないでは話にならんぞ」 「……それは、今までの方法で十分補っている」 そう、バドもまた、字が読めない、書けないアスガルド人の一人であった。 わずかな収入で命をつなぐ庶民にとっては、勉学なぞする暇があるのなら 獲物の一頭でも捕まえて来い、というのが心情なのである。 特にバドは、力で弟を越えようという野心を抱いていたため、余計に 文学的な知識には興味を示してこなかった。そんなバドが、現在どうやって 知識を得ているか。といえば、それは勿論、今や彼の最愛の者である弟シドの 功が大きい。シドの頭の中には既に各国の情報がある程度収まっている。 それを話して聞かせ、バドが暗記する。新しい知識が必要になれば、 それに関する 書物を、矢張りシドが読み聞かせる。 バドもけして頭が悪いほうではない。一度聞けば 大抵のことは覚えてしまう。 アスガルドの歴史や、主要な貴族の系譜、諸外国の 情勢などは、既に彼の知識のひとつとなっていた。 「バド…」 はあ、とアルベリッヒは綺麗な指で自らの眉間を押した。 そこには深い皺がある。 「おまえ、それこそシドの余計な仕事だとは思わないか?」 「…思わんが…」 さも不思議そうにアルベリッヒの意見を否定する甘ったれ兄。 ひくり、と頬をひきつらせて、アルベリッヒは立ち上がった。 びしり、とバドに指をつきつける。 「この馬鹿が!大体兄とは弟を守るものだろう?!それを貴様はシドに 甘えて甘えたおしよって!考えてみろ、昼も夜もおまえに時間を割いて…、 最近シドが痩せてきたとは思わんのか。…他方でまあ、よく笑うようになったが…」 そこまで言って、アルベリッヒははっとした。目の前のバドが、ジト目で自分を見ていた。 「…おまえ、まさかシドに邪な想いを抱いているんじゃないだろうな……?」 殺気すら滲む低い声。さしものアルベリッヒも、無言で首を振る。 「まあ、それはいい」 良くない、と言いたげなバドを制して、アルベリッヒはふと遠い目をした。 「おまえが文字を学んで、シドの手伝いをしてやれば…、シドも ますますおまえに惚れ込んで、尽くしてくれるんじゃないかな…」 読んで聞かせたい本もだが、一緒に読みたいものもある、と言っていたことだし。 わざとらしく呟くと、バドはピタリと動きを止めた。 頼りがいのある、兄。そんな言葉が彼の脳裏を巡る。 『兄上、素敵です』 はにかむシドの幻が映った時点で、バドはがっしりとアルベリッヒの肩を掴んだ。 後ずさろうとする彼を力で引きとめる。そして、 「そうだな。兄は弟を守るものだ。目が覚めた…例を言うぞ、アルベリッヒ」 1人何度も頷き、それと同時にアルベリッヒの肩をひとしきりゆさぶってから、 バドは部屋を出て行った。 そして、翌日。 定例会議で、アルベリッヒはシドと顔を合わせた。 彼の顔を見るや、シドはにっこりと微笑む。 「兄上に何か助言をしてくれたそうだな」 「ええ、まあ」 手元の書類を繰りながら、アルベリッヒはぞんざいに答える。 だが、はたりと手を止め、シドに向き直った。 頬杖をつき、楽しそうに笑う同僚の姿がそこにある。 情けないツラ。そう思った瞬間に、部屋の温度が下がった。 「兄上に割く時間に比べれば、勤務時間のほうが余程の無駄だ。 余計なことを兄上に吹き込まないで貰いたい」 昨日、アルベリッヒの部屋から戻った後、バドは一晩中 『良い子のためのアスガルドABC』なる本を読みふけり、 ひたすら 文字の練習をしていたらしい。 「折角、兄上は今日が休日で、ゆっくり時間を取れる筈だったのに…」 『…つまり、放っておかれて寂しかったんだな…』 げんなりする思いだったが、剣呑な小宇宙を発するシドには、 バドにしたように それをじかに口に出すことはできない。 そして、たかがバドのために あの計画が水泡に帰す恐れもある。 そこまで考え、アルベリッヒは 「悪かった」 素直に謝ることにした。 利益のため(この計画が成功すれば、勿論教育改革者として 彼の名声も上がる、という目論見なのだ)なら背に腹は変えられない。 聖戦後に彼が学んだ処世術のひとつである。 いささか拍子抜けした様子であったが、シドは小宇宙をおさめ。 ジークフリートが到着し、会議は滞りなく進行した。 書類を抱えて退出するシドの後姿を見詰めて、溜息を吐く。 「馬鹿ほど幸せになれるのかもな…」 と、昨夜から双子に悩まされた彼はひっそりと独語し。 その後、自分の考えを打ち消すべく、猛然と頭を振ったのであった。 |